春日公園に刻まれた4つの記憶 ― 戦没者慰霊碑、シベリア抑留慰霊碑、そして二人の郷土人(向山一人・下平肭四)

知らない2つの顕彰碑……このお二人は誰?散策しながら調べてみました

長野県伊那市春日公園の第4駐車場の斜面には、
伊那谷の発展に大きく寄与した、二人の実業家の顕彰碑と胸像が建立されています。

伊那谷に生まれ育って二十ウン年。
遊びに行くにも伊那、学校も伊那、
そして春日公園のことは何でも知っているつもりでいましたが……

慰霊碑に手を合わせた帰り道、偶然見つけたこちらの顕彰碑。

「こんなのあったっけ……!?」
初めて目にしたのに、建立されたのは自分が生まれるよりずっと前。
その事実に、二重の意味で驚いてしまいました。

私が生まれ育った伊那谷の発展に大きく寄与した、二人の人物。
せっかくの出会いですので、その足跡についても書き綴っておこうと思います。

 

「世界のKOA」の生みの親!向山一人先生

向山一人(むかいやま かずと)先生は、箕輪町出身の実業家です。

現在では世界トップクラスのシェアを誇る電子部品メーカー『KOA』の創業者であり、
他にも様々な企業の設立や役員就任、さらには政治家としても活躍されました。

「伊那谷に太陽を」をスローガンに掲げ、
それまで製糸業や農業が中心であった伊那谷へ、いち早く電子工業を導入した人物でもあります。

今日、長野県の伊那谷地域は、世界シェアを誇る電子部品メーカーが集積する一大工業地帯となっています。

その礎を築き、伊那谷の発展と日本の技術力を世界へ広めた第一人者として、
深く尊敬しました……!

↑内閣総理大臣を務めた中曽根さんによる揮毫です!

 

謎多き功労者・下平肭四とは?

向山先生の顕彰碑がある場所から、もう少し坂を登ると、
今度は「下平肭四」という人物の顕彰碑と銅像が見えてきます。

――”下平肭四先生は、南箕輪村出身の実業家です。
小学校教員として勤めた後、養父の跡を継いで製糸場の社長に就任。

その後は伊那町長や県会議長をはじめ、政府官庁・企業・組合など、50以上もの分野で要職を務められました。

また、吉田茂や鳩山一郎といった歴代総理大臣とも親交が深く、
政界にも進出しながら、地域社会の発展と向上に大きく貢献された人物だったようです。

さらに、85歳を過ぎてからも、旧八十二銀行やイナガスなどの要職も歴任されるなど、伊那地域に残された功績は非常に大きなものがあります。

しかし、下平先生に関する資料は現在あまり多く残されておらず、
その偉大な半生を十分に辿りきれないことが、とても惜しく感じられました。

その一方で、下平先生は『越えても越えても峠あり』という名言を残されており、

誰しもが歩む人生の道のりと、長野県の自然豊かな山々の姿を重ねたこの言葉がとても印象的で、私の座右の銘の一つとして大切にしたいと思いました。”

 

……以上が、私がまだ史跡の頻繁投稿でシャドウバンを食らう前、
精力的に活動していた頃にGoogleマップに掲載したレビュー内容なのですが……

先述の通り、この下平肭四という人物、

そのお名前の読み方含め、ほとんど記録が出てこないんです。

 

気になる……なぜ?

どうして何も残されていない?

石碑の背面の内容をざっと読んだだけでも、かなりすごい人物っぽいのに、
どうしてその記録や情報が、全くと言っていいほど出てこないんだろう……?

歴史上の数々の人物が、たとえ生前に残した功績が小さかったり、少なかったりしても、
ウィキペディアに記事があったり、本などの何かしらの情報が出ていたりしています。

しかし、この下平肭四という人物、
その功績の大きさを考えれば、何かしら資料や記録が見つかるのではないかと思ったのですが、
実際に検索してみても、驚くほど情報が見つからなかったのです。

「この人のことを、知りたい……!」

私自身も上伊那で生まれ育ち、高校時代は伊那市へ通学していました。
思い出も多い、私の第二のふるさととも言える伊那谷を、ここまで大きく発展させた人物がいたこと、そして、その軌跡がなぜか残されていないことに、
疑問と同時にもったいないと思ったのです。

何も出てこないスマホ画面を見つめ、
呆然とする私の心に、探究心に火がつきました。(笑)

 

当時の私が検索した限りでは、唯一お名前を確認できたのが――

下平先生のお名前が出てきた『伊那谷ねっと』の2006年の記事・「伊那谷が生んだコンデンサーの世界企業【IV】登内英夫さん(https://ina-dani.net/topics/detail/?id=5445』の文末に、
下平先生の越えても越えても峠ありという言葉があると記載がありました。
(ちなみにこの記事にも、向山一人先生のお名前が出てきます)

この言葉を再度検索したところ、
同じタイトルの下平先生の自伝本『越えても越えても峠あり』が出てきたのです。

な、なんとかして、この本を読みたい……!


ここで以前、長野縣護国神社に建立されている「砲魂」の建立者・長砲会(仏印派遣討四二三七部隊第四中隊長野県出身者の会)さんが出版された著書『砲魂』が、
松本中央図書館に寄贈されていたことを思い出しました。

そして今回も、ダメ元で松本図書館で資料検索をしたところ……

ありました!!!

すごい、すごすぎる。
さすがは中央図書館。思わずガッツポーズです。

しかし、この本は1冊しかないという希少性から、
貸し出しはしておらず、館内閲覧のみということでした。

「……読めればいい!!」

思い立ったら、(割と)すぐ行動な私。
いそいそと支度をし、中央図書館のカウンターにて「館内で読ませていただきたい」と問い合わせをしたところ、
奥の書庫からスタッフさんが取りに行ってくださいました。

そしてやはり、言われたのが
「希少な本のため、館内のみでの閲覧でお願いします」。

ここから私の、
約5日間にわたる「通い読書」の日々が始まりました……!

通っては読み、
通っては読み……

読書自体は2日ほどで内容を読み終えたのですが、
その内容をまとめ、ノートに起こすのに倍ほどの時間がかかりました。

 

次回より、この図書館通いと自己勉強でまとめた、
下平肭四先生についてのノートをゆっくり投稿していきます!

よければそちらの方も、お待ちいただければ嬉しいです!

error: 当サイトの文章・画像の無断転載はご遠慮ください。