その形はさまざま。
花や果物、動物、さらにはキャラクターを模したものまで、時代とともに姿を変えながら、現代でも多くの人に愛され続けている。
「練り切りってね、今は機械で作るところも増えたけれど、
本来は職人さんがひとつひとつ丁寧に手作業で作り上げているものなのよね」
味覚だけではない。
視覚、そして文化的な記憶。
五感を通して感じるその美しさには、一つひとつの形に自然の儚さを映し出そうとする、日本人の美意識が込められている。
「だから和菓子っていうと、私は真っ先にこれを思い浮かべるわあ」
おばあちゃん先生は、慣れた手つきで白餡をこねていく。
手を洗って戻ってきた私は、渡されたビニール手袋に手を通しながら、その様子を眺めていた。
懐かしい。
折りたたみの会議用テーブルを使った簡易的な作業場のはずなのに。
先生が立つその場所は、職人が立つ作業台そのものだった。
「ルミさんのお家は、和菓子屋さんをやられているの?」
「あっ、はい。そうなんです。でも練り切りは……もう誰も作れなくて」
「あら、どうして?とっても簡単なのに」
(簡単……?)
祖父が店先に立っていた時のことを思い出す。
もうずいぶん昔のことだけれど、
祖父が作る練り切りは、とても「簡単」と呼べるようなものではなかった。
季節の花や風景を細やかに表現した、まるで芸術品のようなお菓子だった。
「……おじいちゃんは、もう十年以上は作業場に立てていないし、
お母さんは専門学校とかを出たわけじゃないから、こういうのは作れないんです」
先生は全ての材料を丸め終えると、改めて私の方へ向き直った。
「ルミさんのおじい様は、とても素敵な練り切りをお作りになる方だったのね。
でもね、ルミさん。
最初から、全部を難しく考える必要なんてないのよ」
「え……」
先生は私に、綺麗な割烹着を着せてくれた。
「あなた自身は、何が好きなの?」
「私?私は……」
手のひらには、綺麗な桃色の求肥。
私は……――
「私は、桜が……桜の花が好きです。
お父さんとお母さんが、大好きだった花だから」
四歳の時。お父さんが、膵臓がんになった。
発見した時には、もう末期状態だった。
あんなに元気だった父が、日に日に衰弱していく。
母は私と、まだ赤ちゃんだった妹のアミを連れて、毎日のように病院へ通った。
頬はこけ、髪もすっかり失った父。
病室の窓からは、一本の桜の木が見えていた。
「あの桜の蕾が咲くまでは、生きていたい」
そう言い残した父が、桜の花を見ることはなかった。
三月の初め。
桜が咲く少し前のことだった。
父の死から半年後。祖父の腰痛が悪化した。
指も震えるようになってしまい、細かな仕事もできなくなってしまった。
跡取りがいなくなったうちの店を継いだのは、
知識も何もなかった母だった。
(私、本当は大好きだった。おじいちゃんが作るお菓子も、お母さんのことも、
お父さんのことも)
じんわりと視界が涙で滲んでいく。
……だめだ、しっかり見ないと。
先生は、今何をやっている?どうやったら、あんなに綺麗に作れるのだろう。
先生の手元を目で追いながら、
私も餡を細工していく。
「はい、できた」
二人で差し出した手のひらには、
小さなピンク色の桜の練り切りが乗っていた。
先生の作品と比べると、少しいびつな私の桜。
それでも先生は、何度も何度も褒めてくれた。
「そろそろ説明会の時間も終わっちゃうわね。
それ、他の人に見つかったら面倒なことになるかもしれないから、今のうちに食べちゃいましょう」
「あ、はい……」
かぷり。
一口頬張ると、優しい甘さが口いっぱいに広がった。
「美味しい?」
「はい、美味しいです…… !」
ああ、そうだ。
こんな味だった。練り切りは。
お饅頭も、練り切りも、
私はずっと忘れていた。
父の死。それに苦しむ母のこと。嫌なことを忘れようとしていたあまり、
私は家族から受け取った大切な味まで、忘れようとしていたのだ。
授業終了のチャイムが鳴る。
そろそろ教室へ戻らなければならない。
「先生、ありがとうございました!」
私はぺこっと頭を下げると、もらったパンフレットを抱きしめながら、予鈴の響く校内を駆けていった。
・
・
夏休みに入った。
私が所属する写真部は、長期休暇中の活動は自由参加だ。
私は店の手伝いを理由に、部活を休ませてもらうことにした。
「さて、今日からお手伝いしますよ」
朝。
珍しく早起きをしてそう言うと、母はぽかんとした顔で固まった。
「……えー!?」
まあ、驚くよね。
今までの夏休みといえば、昼近くまで寝ているような自堕落な生活ばかりだったのだから。
「どういう風の吹き回し!?」
「いいじゃん、別に」
「あんた、部活は?」
「店の手伝いって言って休ませてもらった。
行ったところで、顧問もいないし、みんな駄弁ってるだけだもん」
去年参加した時も、先輩たちが話しているだけで、同級生は誰も来ていなかった。
「あー、じゃあ本当に手伝ってもらわなきゃね〜」
「んー」
とはいえ、うちの店は店頭販売がそれほど多いわけではない。
注文を受けて作ることや、近くのデパートへ卸す商品の製造が中心だ。
「じゃあ、お母さんは奥で注文分と午後の商品を作るから、ルミは店番お願いね。
午後からは、お母さんが店に立つから」
「はーい」
母が奥へ消えていくのを見届けると、私はそっと、この前もらった高校のパンフレットを取り出した。
(あー……いいなあ)
ページをめくるたび、生徒たちが作ったというケーキや和食の写真が目に飛び込んでくる。
みんな最初は未経験だったはずなのに、この学校へ通えば、こんなに綺麗な料理やお菓子が作れるようになるんだ。
別に、製菓や調理そのものに興味があるわけではない。
むしろ、お菓子作りだけなら、私は幼い頃から見て育ってきた。
最後に母を手伝ったのは、いつだっただろう。
もう二年くらいになるだろうか。
説明会で練り切りを作ったあの日。
あのあと、私は一つ気づいたことがある。
私にとって和菓子を作ることは、昔の記憶をたどるような、
懐かしくて、心が温かくなる時間なのだ。
「でも、さすがに私立は無理かなあ……」
あの日、お菓子だけ受け取って帰っていった人たち。
試食がないと分かると、説明も聞かずに帰ってしまった友人たち。
私は心の中で、そんな人たちを身勝手だと思っていたけれど、
マンツーマンで練り切りの作り方まで教えてもらったというのに、結局、入学できそうにもない私も同じなのかもしれない。
期待だけさせてしまって、先生をがっかりさせるのではないか。
そんな思いが胸をよぎる。
あの日感じた、懐かしさと、新鮮さが入り混じったあの感覚に、
もう一度、触れてみたい。
私は、どうすればいいんだろう。
「ありがとうございましたー」
本日六組目のお客さんを見送って、私は再びカウンターの椅子に腰掛けた。
自分が作ったわけではないけれど、商品が売れていくのを見るのは嬉しかった。
『和菓子司はしもと』で一番人気なのは、やはり饅頭といちご大福だ。
ふと、夏休みの課題帳から顔を上げると、店先で右往左往している誰かの姿が見えた。
「あ……」
吉田だ。
のれんで顔はよく見えないけれど、あの挙動不審な動きは間違いなく吉田だ。
彼はうちの店の前を十回ほど行き来すると、
やがて意を決したのか、のれんをくぐって店に入ってきた。
「こ、こんちはー」
「……」
「あれ?こ、こんにちはー!」
「あら、吉田くんじゃない」
吉田の声が聞こえたのか、母が番重を持って奥から出てきた。
「あ、お義母……店員さんこんにちは。
あ、あの、ルミって今日……」
「え?ルミ?今日は店番をお願いしていたはずだけどって……あれぇ!
いるじゃんここに!」
「げっ……」
母に首根っこを掴まれながら、私は隠れていた机の下から出てきた。
「あっ、はし、ルミ……」
「……いらっしゃいませー」
吉田と目が合ったが、私はプイッと逸らした。
「あんたそんなとこで何やってたのよー」
「落とした消しゴムを拾ってただけだよ」
ていうか、吉田こそ何しにきたんだ。
奴を見ると、相変わらず挙動不審で前髪ばかりいじっている。
ふと母の方を見ると、ものっすごいニヤニヤした顔を隠しもせず、私はイラッとした。
(お母さん、絶対……余計なこと考えてる!)
「あ、じゃあさルミ。
これ、注文分のあまりと午後の分だからさ。
ショーケースの中に入れちゃってくれる〜?」
「え、午後からはお母さんがやってくれるんじゃ……」
時計はすでに、午後二時を回っていた。
「今日はダメよぉ!お母さん今日忙しいの。
さっき追加注文入っちゃって、これから田中さんのとこと、隣町のデパートまで配達に行かなきゃいけないの。
だからルミ、このままお店よろしくね」
なぜか語尾にハートが見えた気がする。
母はそう言うと、意味ありげに吉田の肩をぽんと叩き、配達する和菓子を持って車に乗って行ってしまった。
「……」
「……………」
気まずい沈黙が流れる。
クラスメイトや知り合いが店に来ることは何度かあったが、
とくに仲良くもない生徒が一人で来たのは初めてだった。
(和菓子好きってわけじゃ、絶対ないでしょ)
じゃあ、何の用なんだってことになるけれど。
狭い店内をウロウロしては、こちらの方をチラチラ見てくる吉田を、私は眉を顰めて見ていた。
「あ、あのさルミ!」
「何よ」
「おっ、おすすめ!おすすめ何?おすすめ」
なんでそんなにキョドっているんだ。
お前が私以外と話す時は普通だってこと、私は知っているんだぞ。
「……練り切り」
「練り切り?」
どうせ知らないだろうと思い、私は店頭に並んでいないものを言った。
「ないじゃん、練り切り。今日は売り切れちゃったの?」
「え……」
驚いた。知ってるんだ。
友人たちは、みんな練り切りを知らなかった。
「ね、練り切りは、もともとない……
今、誰も作れなくて」
「あっ、そ、そうなんだ。
ルミは?作らないの?」
「うーん……」
吉田にそう聞かれ、私はショーケースの一点を見つめた。
そこにはかつて、祖父が作った練り切りが売られていた。
「……作れないと思う」
現役時代、祖父は数々の賞を受賞するような職人だった。
とくにすごかったのは、練り切り。
本物の菊の花のような繊細な細工は、祖父にしかできない芸当だと思う。
大正時代から守ってきた、この店のクオリティ。
私が継いだところで……むしろ品質が下がったなんて言われるかもしれない。
「る、ルミならできそうだけどなー!」
吉田はそう言うと、頭の後ろで手を組んで後ろを向いた。
その真っ赤な耳を見て、私は思わず吹き出してしまった。
「……ふふっ。そうかな」
「そっ、そうだよ!
最初から出来ないなんて言っちゃいけねえよ」
吉田のその言葉は、あの時先生が言っていた言葉とよく似ていた。
――”最初から、全部を難しく考える必要なんてないのよ”。
そうか。私はやる前から難しく考えすぎて、
始めることを諦めてしまっていた。
「……そうだよね。まずはやってみてからだって、いいんだよね」
「そっ、そうだよ!その意気だぞルミ!」
「うっさいよ吉田」
そう言うと、私たちは顔を見合わせて笑い合った。
「い、いつか作ってよ。
ルミの練り切り」
「……気が向いたらね」
吉田は店頭に並んでいた饅頭を全部買うと、嬉しそうに帰っていった。
なんだ、あいつ。案外良い奴じゃん。
(いつか、私の作った和菓子で、笑顔に……)
と、そこまで考えたところで、私はぶんぶんと首を振った。
「何考えてんのよ、私……」
空っぽになったショーケースを見つめながら、
私は机に突っ伏した。
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