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【長野縣護国神社とは?】参拝しながら歴史を学んできました

本日は、長野縣護国神社に行ってまいりました!ヽ(*´∀`)

松本市内に鎮座する長野縣護国神社は、戊辰戦争以降、国のために殉じた長野県出身者をお祀りする神社です。

境内には数多くの慰霊碑や記念碑が建立されており、以前から一度ゆっくり参拝してみたいと思っていました。

今回は参拝とあわせて、護国神社の歴史や境内の石碑も見学してきましたので、ご紹介したいと思います!

◾️護国神社とは?

護国(ごこく)神社は全国各地に建立されており、幕末以降の戦乱や戦争で国のために殉じた方々が祀られています。

つまり、その神社がある地域の出身者で、時代ごとの戦争や事変に従事し、命を落とされた方々をお祀りする神社ということですね。

私のように、郷土愛や地元の歴史に興味がある方には、ぜひ訪れていただきたい場所です!

◾️長野縣護国神社について

ここ長野縣護国神社では、戊辰戦争以降の長野県出身の英霊の方々が奉斎されています。

(「縣」は現在の「県」と同じ意味の旧字体です)

長野縣護国神社の歴史は、1938年に「長野県招魂社」として仮殿が建設されたことに始まります。

また当時、この場所は旧陸軍松本歩兵第五十聯隊に隣接しており、松本市の中心部でもありました。(こちらについても、後日あらためて記事にしたいと思います!)

駐車場は県道沿いや鳥居の前、境内など複数箇所に設けられているため、平日やイベントのない日であれば余裕を持って参拝できると思います。

境内から拝殿までは舗装されており、車椅子の方でも安心してお参りできそうです。

また、お宮参りや結婚式でも人気の神社で、勝負運向上や合格祈願のご利益で知られています。

そして近年では「推し活」のご祈祷も人気のようです!すごい……!!

気になる方は、ぜひご祈祷されてみてはいかがでしょうか(^ν^)

■ 長野から出征した英霊たち

長野県では、戊辰戦争において多くの藩が新政府軍側として戦いました。

松代藩は北越戦争へ出征し、上田藩や松本藩も会津・北越方面へ兵を派遣した記録があります。

また飯山藩は、旧幕府軍脱走兵との戦闘など、県内でも激しい攻防を経験したとされています。

その後の日清戦争では、長野県から出征した約4,000人のうち543人が戦没し、その多くは感染症による戦病死だったとされています。

さらに日露戦争では、長野県出身者の戦没者数は6,500〜7,000人ともいわれています。

そして第二次世界大戦では、長野県から約23万4,000人が出征し、そのうち5万3,000人以上が命を落とされたとされています。

どの時代を見ても、その背後には数多くの戦いと歴史があるのです。

■ 昔、そして今

現在では、自衛隊・警察官・消防士の殉職者もご祭神として祀られています。

今この地に生きる者として、昔も今も地域や国を守るために尽くされた方々へ感謝を込め、手を合わせて参拝させていただきました。

◾️終わりに

境内には、ニューギニア戦線、シベリア抑留、仏印進駐、特攻隊をはじめ、長野県と深い関わりを持つ満蒙開拓団の犠牲者を慰霊する石碑や銅像が数多く建立されています。

その一つ一つを巡るだけでも、どれほど多くの命が失われ、そして現在の平和へとつながっているのかを考えさせられました。

次回は、境内に建立されている石碑や慰霊碑について、一つずつご紹介したいと思います。

よろしければ、そちらもご覧いただけますと幸いです!o(`ω´ )o