
市内最大の図書館である松本市中央図書館、
そして令和元年に国宝に指定された旧開智学校に囲まれるように、
静かに佇む一つの洋館があります。
この建物の名前は、『松本市旧司祭館』。
長野県宝にも指定されているこちらの旧司祭館は、1889年(明治22年)、
松本を拠点に布教活動を行っていた司祭たちの住居として建てられました。
その歴史は1880年、パリ外国宣教会のラングレー神父が初めて松本を訪れ、
カトリックの布教を始めたことから始まります。
その後も多くの神父がこの松本に滞在し、地域社会の中で教育や福祉など様々な活動に尽力しました。

当時はワイン樽が保管されていたそうです(館内の案内板より)。
ここを訪れるのは数年ぶりです。
この日は記事『【護国神社とは?】長野縣護国神社を参拝しながら歴史を学んできました』の資料「砲魂」をお借りするため中央図書館に行っていたので、
その帰り道にふらりと立ち寄ってみました。
今回は、その時の記録を残しておこうと思います。

アーリー・アメリカン様式というそうです。
館内は無料で見学できます。
開館時間は9:00~17:00(なお、入館は16:30まで)
入場は土足のままで大丈夫ですが、後述のとおり、市が時間と労力をかけて移築・復元した貴重な建物です。
泥などの汚れが付いている場合は、落としてから入館しましょう!(^^;;
館内は大きく4つの部屋とベランダで構成されています。
家具などはあまり残されていませんが、暖炉や階段、造り付けの棚などが、当時の姿を今に伝えています。


↑入ってすぐ右の部屋です。旧司祭館の歴史が書かれた看板が展示されています。
↓こちらは一つ隣の部屋。リビングだったようです。
ベランダから陽の光が差し込む一室……素敵です。



一階の左奥はキッチンだったようです。一見、ただの個室でしたが……
暖炉の部分が、調理で火を扱う場所だったそうです。


↑十字架が刻まれたこちらの鬼瓦は、先述の物置だった基礎部分に保管されていたようで、現在もガラスケース越しに見ることができます。なぜかキッチンにあります(笑)
西洋と日本の文化が当時から融合していたことを感じさせる、不思議な魅力がありますね。
司祭館は2階建てです。おしゃれな回り階段を昇り、
お次は2階に行ってみましょう〜((((((((((っ・ω・)っ

先述の通り、旧司祭館は松本でカトリックの布教活動を行う司祭たちのために建てられた建物です。
松本に初めて宣教師が訪れたのは1880年のことでしたが、
この建物が建てられたのは、その9年後の1889年(明治22年)です。
設計を担当したのは、フランス人宣教師のクレマン神父。
建物は当初、現在の松本城のすぐ北側、城内三の丸の大名屋敷跡に建てられました。
一方で、実際の施工を担ったのは地元・松本の大工たちだったそうです。
明治時代の松本で、海外から訪れた宣教師と地元の職人たちが力を合わせて一つの建物を造り上げた……
そんな国際的な協力が、大昔から、ここ松本にも息づいていたことがうかがえます。

また2階のベランダは現在立ち入り禁止でした。
彼ら宣教師は、ただ日本で布教活動を行っただけではありませんでした。
丸の内にあるテレジア幼稚園は、この司祭館に滞在したデルボス神父によって創設されました。なので移設前の司祭館は、テレジア幼稚園のお庭にあったのだそうです。
また、セスラン神父は、世界初の本格的な和仏辞典ともいわれる『和仏大辞典』の編纂を、この松本の地で始めたとされています。
この大事業には、実に27年もの歳月が費やされました。
「学都」を掲げる松本市。
その礎を築いた一端には、この地で教育や学術の発展に尽力した宣教師たちの存在もあったと言ってよいのではないかと、私は思います。



旧司祭館はその後、松本カトリック教会によって管理・所持されていたそうですが、
平成元年(1989年)、この地の道路拡張工事に伴い、松本市へ寄贈されました。
建築されてから、ちょうど100年後の出来事だったのですね。
そして平成2年から3年にかけて、松本城北側の街路拡幅事業にあわせて現在地へ移築・
復元されます。
この事業は、松本市民や民間からの寄附・協力も受けながら進められました。
松本市が一体となって守り抜いた文化財。
こうした経緯を知ると、なおさら愛着が湧いてきます。
そして平成17年(2005年)には、「旧松本カトリック教会司祭館」として長野県宝に指定されました。
この建物が取り壊されることなく、美しい姿のまま今日まで受け継がれてきたことは、
戦前から日本で活動していた外国人たちの存在と、彼らを受け入れ、ともに暮らしてきた当時の松本の人々の歩みを、今に伝えてくれているように感じます。

古川本舗さんの『coma white』を聴きながら散策しました。
近年は、日本に訪れる外国人の問題がたびたび話題になります。
ニュースやさまざまな立場の意見に触れるたび、私はどちらにも理解できる部分があり、
同時に改善すべき課題もあると感じています。
日本には昔から外国の文化や人々を受け入れ、
ともに歩んできた歴史が確かにありました。
日本という国の文化や価値観まで失われてしまうほど、外国に迎合する必要はありません。
一方で、ルールやマナーを守り、日本を尊重してくれる人々まで「外国人」とひとくくりにし、必要以上に拒絶する必要もないのではないか、と私は思います。
十字架が刻まれた、あの鬼瓦のように。
新しいものや異なる文化を受け入れ、それを日本らしく取り入れながら発展させてきた日本人。
どうか、先人たちが築いてきた寛容さや思いやりも忘れずに。
これからの時代を生きる仲間として、お互いを尊重しながら歩んでいけたら……
そんなことを考えさせられた一日でした。

なお、館内には他にも、ここに滞在した多くの神父の歴史を学べる展示があります。
写真ではお伝えしきれなかった司祭館ならではの魅力も、現地で感じていただけるのではと思います!
そして公式ホームページには、休館日の詳細についても記載がありますので、
訪れる前にチェックしてみてください。基本的に火曜日はお休みのようです。↓
「旧開智学校」