掩体壕跡と萬歳塚 ― 松本に残る小さな戦争遺構

信州スカイパーク公園と、その周辺のりんご畑には、
この地にも戦争があったことを静かに知らせる戦争遺構があります。

本日は、この2つの遺構について記事を書いてみました。

掩体壕跡(スカイパーク公園内)

「えんたいごう」と読みます。
場所は「空港西」交差点のすぐ近く、信州スカイパーク公園のりんご畑を背にした道路沿いにあり、マレットゴルフコースの横にひっそりと残されています。

2026年4月30日現在、周辺は工事中で車両に囲まれており、小さい看板はやや見つけにくい状況でした。

現在、掩体壕そのものは残されていませんが、
この土の盛り上がりが当時の掩体壕跡なのだそうです。

掩体壕とは、敵の攻撃から航空機を守る施設のことです。
いくつか種類があり、多くは木造やコンクリートの屋根付きの施設のようなタイプでしたが、中には風や破片を防ぐためだけの、土堤のみで屋根が存在しない無蓋掩体壕もありました。

掩体壕は日本各地に現存しており、近年は保存措置が講じられている例も見られます。
日本の掩体壕は、航空戦が主力に転じた第二次世界大戦時に多く作られたようです。

なお、当時は「掩体」と呼び、
「壕」は省略していたようですね。

当時の記録写真は確認できませんでしたが、
看板によれば戦時中は三十ヶ所余りの掩体壕が点在していたそうです。
そのため、この場所の掩体壕も横穴式だった可能性があります。

松本の空を駆けた特攻隊たち―旧陸軍松本飛行場跡とは」でも記事にしましたが、
この地域一帯は旧陸軍に強制買収されました。
飛行機の格納庫跡として残っている菅野小学校から、掩体壕があるこの場所までは、
およそ2kmほど離れていることから、かなり広大な軍事飛行場だったことがうかがえます。

工事中…

防災工事の必要性は理解しつつも、こうした貴重な戦争遺構が失われてしまうのは惜しく感じます。

工事後も、壕跡や看板ができるだけ残されることを願います。

 

萬歳塚(個人所有の畑の横)

旧陸軍飛行場掩体壕跡から松本方面へ進み、左折すると、
りんご畑に囲まれた道路沿いに佇むこの萬歳塚(ばんざいづか)が見えてきます。

※掩体壕は公園の駐車場がありますが、こちらは駐車スペースはありません。

掩体壕が太平洋戦争末期に造られたのに対し、
萬歳塚は大正4年、今井地区を支部とする在郷軍人会によって建立されたものです。
時代的にも、第一次世界大戦や、シベリア出兵あたりでしょうか。

(在郷軍人会とは、現役を離れた予備役軍人で構成された組織で、全国各地に存在していました。)

入営・出征する兵士は、村人に見送られ、この塚の上に立って別れの挨拶をし、
任地へと向かいました。

無事に帰還した際には、奉公袋を手に再びこの塚を訪れ、出迎えた人々と健闘を讃え合いました。

そして、戦死した兵士の遺骨を迎えたのも、この場所だったそうです。

不安があろうと、悲しみがあろうと、本心がどうであろうと……

この場で交わされたのは「ばんざい」という言葉でした。

政府による指令ではなく、地域住民により自然に作られたというこの萬歳塚。

この場所には名称がつきましたが、日本各地でも、名前はなくとも似たような場所は多く作られたようです。

それだけ多くの母が、家族が、息子や夫を送り出し、
そして日本中が一丸となって戦った時代があったことが、この小さな場所から感じられました。

 

終わりに

有名な場所、巨大な場所。
戦後81年を迎える今、残された戦争遺構には、実に様々なものがあります。

観光地として有名な場所も多く存在していますが、
私はこうした、小さいけれどもちゃんと今も残されている遺構を訪れるのが好きです。

当時を生きた人々が大切にした場所を、
現代でも地域の方々が守り続けている姿を見ると、
過去と現在が確かにつながっていることを感じます。

どうか今後も、こうした貴重な戦争遺構が残され続けること、
そして、新しく作られない時代が続くことを願います。

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