下平肭四先生の生涯 ― 新たな峠、実業家への道

1939年…大戦を機に今後を予測、経営を立て直す

1939年9月、オーストリア皇太子がセルビア人に殺害されたこと(原文ママ)をきっかけに、欧州で大戦争が始まります。※1

しかし先生は、それ以前から新聞などを読み、この戦争によって生糸や繭の相場が暴落すると予測していました。

そこで銀行預金をすべて現金化し、約200万円(著書執筆時点で約2億円以上)をズック袋五袋分(原文ママ)の現金として用意していたそうです。

やがて戦争が始まると、繭の価格は1円70銭から80〜90銭まで暴落。
あまりの値下がりに、繭を天竜川へ捨てる人まで現れ、銀行も融資を停止しました。

そんな中、先生は暴落した繭を次々と買い集め、工場で保管します。
すると約2週間後、生糸相場は回復し、繭の価格も元に戻りました。※2

この判断によって大きな利益を得た先生は、苦しかった経営を立て直すことに成功します。
その後、会社名を「山本館製糸」から、自身の旧姓を取り入れた「高木館下平製糸」へ改称し、合資会社へ改組。
妻や親族を社員とする資本金500万円の会社を設立しました。

※1…著書の原文通りに記述しましたが、実際の史実と相違があります。

「オーストリア皇太子がセルビア人に殺された」という出来事は、
1914年6月28日に発生したサラエボ事件を指し、第一次世界大戦開戦の大きなきっかけとなりました。

一方、下平先生がこの章で切り出している「一九三九年九月……」という年代は、史実ではナチス・ドイツによるポーランド侵攻(1939年9月1日)を契機として始まった第二次世界大戦を指すものと考えられます。

そのため、本研究では、この記述を次のように解釈しました。↓

「(1914年)オーストリア皇太子がセルビア人(青年)に暗殺されたことをきっかけに、欧州で第一次世界大戦が始まった。
そして1939年9月、第二次世界大戦が勃発した。

第二次世界大戦勃発の背景には、第一次世界大戦後のヴェルサイユ体制が大きく影響しています。

敗戦国ドイツは多額の賠償や領土割譲を課され、経済的に大きな打撃を受けました。さらに1929年には世界恐慌が発生し、各国は自国経済を守るため保護主義へと転じます。

イギリスやフランスは、自国や植民地を中心とした排他的な経済圏(ブロック経済)を形成し、域外からの輸入品には高い関税を課しました。

こうした状況の中で、植民地や資源に乏しかったドイツや日本は、領土拡大へと進み、最終的にドイツのポーランド侵攻によって第二次世界大戦が始まりました。

下平先生が「1939年9月、オーストリア皇太子がセルビア人に殺されたこと(原文ママ)をきっかけに欧州で大戦争が始まった」と記した理由については、私個人としては、

・単純な年代の取り違えであった可能性
・この章の主題である「会社を立て直した年」の出来事へ話をつなげるため、前史を簡潔にまとめた結果であった可能性
・第一次世界大戦から続く国際情勢の流れを踏まえ、「第二次世界大戦の遠因は第一次世界大戦にあった」という趣旨で記述した可能性

などが考えられるのではないかと思います。
いずれにせよ、「1939年9月」と「オーストリア皇太子暗殺」を直接結び付ける出来事として理解すると史実と一致しないため、
本研究では注釈を付した上で、著書の原文はそのまま掲載することにしました。

※2…生糸相場の変動について

1939年初めの生糸相場は、世界恐慌以来の不況の影響を引きずり、軟調な推移が続いていたようです。
そして9月、第二次世界大戦の勃発により、生糸価格は大きく下落しました。
ここまでは下平先生の著書の記述とも一致しています。

一方で、その後については、現在確認できる資料では、
「生糸市場は長期的に回復することなく、ナイロンなどの化学繊維の普及も重なって、日本の生糸産業は次第に衰退していった」とされています。

そのため、下平先生が会社を立て直す契機となった「暴落後2週間で相場が持ち直した」という出来事は、長期的な市場回復ではなく、ごく短期間の相場の反発であった可能性、
そして全国の平均相場ではなく、長野県の生糸取引所や横浜生糸市場など局地的・短期的な相場を見ていたとも考えられます。

先生は、この一時的な好機を見極めて暴落時に買い集めた繭や生糸を売却し、
経営再建につなげたのではないかと、私は考えています。

会社の再建や社名変更にもつながる重要な出来事ですので、この時期の生糸・繭相場の変動については、今後も引き続き裏付けとなる資料を探していきたいと思います。

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