穏やかな風を受ける田畑と住宅街の中に、
時代に取り残されたように佇む、
鉄骨が剥き出しになったコンクリートの壁があります。
実はここ、旧日本陸軍の「伊那飛行場」の一部なのです。
本日は、伊那市に残る戦争遺跡・旧陸軍伊那飛行場に行ってまいりました。
◾️飛行場とその歴史
旧陸軍伊那飛行場は、工場疎開のため1944年に旧日本陸軍によって建設された飛行場です。
ここは埼玉県にあった熊谷陸軍飛行場の「伊那分教所」として、士官見習いや少年航空兵が訓練を受けていた場所でもありました。
彼らは訓練のため、この伊那の空を終日飛び回っていたそうで、その姿は当時の住民の記憶にも残っているとのことです。
約3か月間の訓練を終えた後、それぞれの戦地へと配属され、
中には特攻隊員として、この地から飛び立った方もいたといわれています。
飛行場建設にあたり、陸軍は1943年にこの伊那市六道原地区の土地を買収し、沢を二つ埋め立てる大規模な工事を実施しました。
工事には勤労動員として、南信地域の住民をはじめ、多くの学生や朝鮮出身の方々も携わったとされています。
終戦後、この土地は元の地主へ返還され、
現在は住宅街や青々とした田畑が広がる、のどかな風景となっています。
かつて広大な飛行場だったこの場所には、木造の飛行機格納庫が3棟建てられていました。
現在残されているこのコンクリート遺構は、そのうち第二格納庫の基礎部分とのことです。
◾️奇跡の出会い
訪問時に、偶然この場所を管理されている方々とお会いし、お話を伺うことができました。
一年ほど前に、格納庫跡の状態確認のため地下約2メートルまで調査が行われたこと、
そして今後の都市計画事業に伴う道路拡張のため、この飛行場跡も撤去される予定であることを教えていただきました。
◾️終わりに
鉄骨が露出している現状や、地域の利便性向上を考えれば撤去もやむを得ないのでしょうが、やはり少し寂しさを感じます。
歴史は本で学ぶこともできますが、実際にその場所や遺構を目にすることで、より深く実感できるものがあるからです。
しかし、こうした貴重な戦争遺構を長年保存してくださった伊那市のご尽力に感謝するとともに、撤去前に現地を訪れ、
お話を伺うことができたことを大変ありがたく思いました。