映画『宣誓』感想綴

映画『宣誓』観てきましたー!

やっぱり、泣きました…!!
とても良かった( ;  ; )

“自衛隊として”の任務と“人間として”の葛藤、
そして風化しつつある震災の脅威と教訓を忘れさせない、素晴らしい作品です。

以下、ネタバレ、余計な考察や自分語りが含まれます汗

◾️はじまり

映画は、陸上自衛隊高等工科学校の卒業式のシーンから始まります。
(高等工科学校とは横須賀にある、自衛隊唯一の高等学校です)

式典も終わり、校舎の昇降口付近では、
両親が揃った卒業生が記念写真を撮ったり、言葉を交わしたりしていますが、
主人公・和樹は、ひとりぼっちで青空を見上げています。

実は彼は、数年前の東日本大震災で両親を失っていたのです。

そんな和樹のもとへ、2人の男女が駆けつけます。
数年前、震災後の避難所で出会った自衛官たちでした。

男性の名前は春日。震災当時は三尉でした。
(三尉とは、20~30人の隊員を指揮・管理する自衛隊の小隊長。現場の指揮官です)

そして女性の名前は、佐藤。

ふと空を見上げると、一機のヘリコプターが飛んでいきます。
天気の良い春の日にも飛ぶそれは、訓練なのか、それとも時期を問わない任務のためか。

3人が見つめる青空とヘリコプターの向こうから、あの時の記憶がゆっくりと甦っていきます。

◾️日本が震撼した、あの日。

2011年3月11日。
東日本は、未曾有の大災害に巻き込まれました。

最大震度7の大地震、巨大な津波、そして原発事故。

多くの命が失われ、かろうじて生き延びた人々もまた、生活インフラが崩壊した過酷な環境の中に身を置かざるを得なくなりました。

それから1ヶ月ほどが経った4月上旬。

田舎の山間部ならではの狭い道を、災害救助の自衛隊車両が続々と走っていきます。
春日三尉たちは、高台にあるこの避難所へ、山形県から生活支援隊として派遣されました。

避難所は、学校。
そこでは、地震発生から1ヶ月も経つのに一向に自宅へ帰れない100人以上の被災者が、教室内にダンボールで仕切りを作るなど、
さまざまな工夫をしながら暮らしていました。

しかし、水が十分に届かないためトイレが思うように使えなかったり、女性の洗濯物が盗まれたりと、集団生活の限界を感じさせられます。

ここで登場するのが、東京から駆けつけてきているというボランティアスタッフの男女2人。
登場早々、めちゃくちゃ態度が悪いです(笑)

「自衛隊は衛星中継でいつでも日本を見られる」

「監視されている」

このシーンには、一部の人々の自衛隊に対する“理解の浅さ”が、ぎゅっと詰まっているように感じました……(笑)

そして私は、自衛隊員たちのヘルメットに貼られていた「がんばろう東北」の文字に
胸が締め付けられました。

「がんばれ」じゃないんですよね。

「がんばろう」なんですよ。

この、たった二文字の違いが、
「自衛隊とは日本と国民のために存在する組織なのだ」という意義を表しているように感じました。

被災者たちの様子を見ながら廊下を歩いていると、幼い女の子がこちらへ走ってきました。
春日三尉が慌てて駆け寄り、少女の顔を覗き込んで、保護者と部下に怒られます。

結局人違いだったのですが、
実は春日三尉は、震災発生の時から、妻と、
この少女と同じくらいの年齢の娘と連絡が取れなくなっていたのです。

妻と娘は震災当時、石巻市にいたようです。

石巻市といえば、東日本大震災でも最大級の被害を受けた地域。

電話もまったく繋がらず、安否がわからないまま、すでに1ヶ月近くが過ぎていました。
それでも自衛隊にとって、任務は最優先です。

心配する部下たちの声を遮るように、
「任務に当たっていた方が気が紛れるんだ」と言い、被災者たちの生活支援に集中します。

そんな中で春日三尉たちが出会ったのが、12歳の和樹でした。

この時和樹の両親もまた、安否不明の状態でした。

一人取り残された和樹は、その寂しさを紛らわせるように、次第に自衛隊たちの動きを追いかけ、見守るようになります。

物干し場、女性用トイレ、そして水……
被災者たちからの要望を、自衛隊は次々と叶えていきます。

そして大量に作った炊き出しのカレーは、
噂を聞きつけた周囲の住民たちが集まってきたことで、足りないかもしれないという状況に。

それでも春日三尉は、避難所の住民だけに限定することはせず、材料を増やすよう上に掛け合うなど、常に国民の側に立って動いていました。

◾️カレーのあたたかさ

個人的に印象に残ったのは、
青いジャンバーを着たおじいさんと、先ほどの幼い女の子、そして親戚のおばさんが、
仲良くカレーを食べているシーンです。

三人は全員、血のつながらない他人。

しかし共通していたのは、“家族を失っていたこと”でした。

だからこそこういう時に日本人は、
お互いを支え合える“家族”のような存在になれる。
そんな国民性を垣間見た気がしました。

そして、両親の安否が1ヶ月も不明で、何も食べる気になれなかった和樹。

しかし同じく、家族を失ったおじいさんから
「食べなきゃもたない」と声をかけられ、自衛隊が作った温かいカレーを口に運びます。

一口食べると、すぐにどんどんとかき込む和樹。
身体が、空腹だったことを思い出したかのようでした。

大震災、そして12歳の子どもが家族と離れ離れになるという非日常は、
子どもの心を支配するのに十分すぎるほど大きな衝撃です。

東日本大震災では、多くの子どもたちがこのようなショックを受けました。

身体はとっくに限界なのに、空腹を知らせるはずの脳がショックに支配されてしまうと、
人は食事が喉を通らなくなってしまうんですよね。
そうなると、嫌な無限ループに入ってしまいます。

だから自衛隊は、「温かい食事の提供」という形で、
被災者たちを絶望のどん底から少しずつ引き上げていったのだと思います。

◾️被災地支援で有名な「自衛隊赤飯問題」。

被災者には温かい食事が提供される一方で、
隊員たちの食事は、自衛隊車両の中での冷たい缶詰でした。

被災者優先のため湯煎も使えず、缶詰の赤飯は箸が折れるレベルで固い。

それでも頑張って食べていると、春日三尉から「被災者のことを考慮し、赤飯は禁止」と指示が出され、食事自体が中断されます。

しかし隊員たちは文句ひとつ言わず、その後も着々と任務を遂行していきました。
その姿が和樹の目には、本当にかっこよく映ったのでしょう。

ネットでは、「栄養が豊富だからという理由で自衛隊員たちが赤飯を食べていたところを、それを見た被災者が『こんな時に赤飯なんてどういうことだ!!』と怒られた」
という、なんとも理不尽なエピソードとして語られています。

しかし実は、この件については正確な記録が残っておらず、
確実なのは「(自衛隊側から)被災地での住民への様々な配慮が考えられたなかで、現地での赤飯の喫食を中止した」というものです。

なので自衛隊側から赤飯を自主的に遠慮した、映画の方が史実に近い形になっていますね。

出典:<a href=”https://www.factcheckcenter.jp/fact-check/disasters/inaccurate-claim-japan-self-defense-force-abolishing-red-rice-after-east-japan-earthquake/“> 東日本大震災での自粛や批判をきっかけに陸上自衛隊で赤飯が廃止された?【ファクトチェック】

◾️ボランティアという存在

自衛隊の活躍のおかげで、避難所の住民たちは少しずつ普通の生活を取り戻しつつありました。

しかし一方で、ボランティアスタッフたちは、本来は協力関係にあるはずの自衛隊との溝を深めていきます。

個人的に一番イラッときたシーン!
お風呂に入りたい被災者のために、自衛隊車両で送迎する場面です。

被災者優先のはずなのに、ボランティアスタッフ2人が順番の先頭を陣取ってるんですよww

その厚かましすぎる様子に、堪らず佐藤が「あなたたち、何のために来たんですか?」と詰め寄りますが、
春日三尉に制されたのを見て調子に乗ったスタッフが煽り、威張り散らかします。

しかし春日三尉は、そんな失礼なボランティアスタッフたちをかばい、
佐藤をたしなめてその場を収めます。

なんとも納得できないシーンではありますが、
きっと春日三尉、つまり自衛隊にとっては、そんなボランティアスタッフであっても
“守る対象”なのだと伝えたかった場面なのかもしれません。

そして佐藤は、ただの一般人であるボランティアスタッフに対し、
自分たち自衛隊と同じレベルの博愛精神を、無意識のうちに求めてしまっていたのかもしれません。

自衛隊が「国民のために存在する組織」である以上、
自衛隊以外の人間はすべて守る対象である。
たとえそれが、どんなに失礼な人であっても……

ということなのかもしれません。

それに、自衛隊と私たち観客は、この避難所に自衛隊が派遣された“初日”しか見ていませんが、このボランティアスタッフの2人は、
自衛隊が来る前から、この避難所で活動していました。

正義感に駆られて被災地に来たものの、
十分な知識も覚悟も持ち合わせていなかった。

しかしボランティアとして来ている以上、
きっと彼らも長い間お風呂に入れていなかったのかもしれません。

それでも、自衛隊が派遣される前の大混乱の中を、彼らなりに必死で乗り越えてきたのでしょう。

そして自衛隊が到着した今やっと、
“保護する”側から
“保護される”側の人間になったのです。

『宣誓』は、こうした「ボランティアとして被災地に来る人間の現場認識の甘さ」と同時に、自衛隊にとっての「守る対象は全国民である」という現実を、
静かに表現している作品なのだと感じました。

◾️突きつけられる現実

同じ日々を送る中で、和樹と自衛隊員たちの仲は、少しずつ深まっていきます。

和樹が、自衛隊車両で食事する隊員達と一緒になって談笑する姿が、とても温かかったです。

個人的には、春日三尉が父、佐藤さんが母、そして和樹が息子のような、
災害という縁で結ばれた、悲しくも尊い繋がりを感じました。

そして、避難所の住人にまつわるエピソードの一つ。

行方不明だった父親が見つかり、避難所で暮らす母娘が身元確認をするシーンです。

夕日が差し込む簡易な遺体安置所で、
棺の小窓を開けてすぐ閉じ、大泣きする母親に対し、
女子高生の娘は電波の繋がらない携帯で“パパ”との電話を試みます。

「天国って、電波届かないの?」

「そんな人知らない」

小窓から見えたパパの姿はきっと、
見るも無惨で痛々しい姿だったのでしょう。

それを“パパ”だと認めるには、彼女はまだまだ幼すぎました。

いえ、きっと人はいくつになっても、
最愛の家族を奪われる苦しみと、
その最後の姿さえも綺麗にさせてもらえない理不尽さを、簡単に受け入れることはできないのだと思います。

一家の大黒柱を失った母娘の悲嘆。
とても胸が苦しくなるシーンでした。

しかしこの2人も、自衛隊たちが作ったお風呂スペースに感動し、少しずつ笑顔を取り戻します。

全てを失ったと思っていた被災者にとって、
突然奪われた日常を取り戻すことこそが、何よりの励みになっていたのかもしれません。

そして私が映画館で号泣してしまったのは……
自衛隊の大規模捜索のシーンです。

この場面では、保育園児の女の子の遺体が地中から発見されます。

津波で何もかもが流され、瓦礫とヘドロが積もった場所で、
隊員たちは泥だらけになりながら、手作業で行方不明者の捜索を始めます。

重機は使えません。ご遺体を傷つけてしまう可能性があるからです。

ただただ広大で、何の目印もない場所でひたすら捜索を続けていると、
隊員の一人が、地中に埋まった人の存在に気づきます。

まるで、身内の亡骸を扱うかのように、

両手で、丁寧に、優しく地面を掘っていくと、

現れたのは、小さな女の子の遺体と、一体の小さな仏像でした。

このシーンの女児の遺体ですが、
映像では隠すことなく映し出されていました。

言葉を選ばずに言うならば、私はこれをとても誠実な演出だと感じました。

(※誤解が無いように一応書いておくと、おそらく人形です。
泥に覆われて表情などは見えないようになっていますが、力なく垂れた小さな手足は、
被災地で発見された多くのご遺体も、きっとこのような姿だったのだろうと想像させられます。)

多くの映画やドラマでは、遺体のシーンは視聴者の心情配慮や放送上の制約もあり、
隠されていたり、そもそも描かれないことも少なくありません。

しかし、災害救助を行う自衛官たちが必ず向き合う現実こそが、被災された方々のご遺体なのです。

だからこそ、大規模捜索のシーンを描いたこと、
そして泥に覆われた女児のご遺体を隠さず映し出し、
それを大切そうに抱き上げる自衛隊員たちの姿を描いてくれたこと。

その表現の誠実さに、恐れ多くも、私は『宣誓』の監督である柿崎裕治さんを深く尊敬しました。

あの日、自衛隊員たちが実際に見ていた現実を、私たち国民もまた、知っておかなければならない。

そう、強く感じさせられるシーンでした。

そして、女児と共に見つかった仏様の頭部を、
被災地の撮影をしていたカメラマンが、泣き叫びながら蹴り上げます。

「仏様がいるのなら、どうしてこんな酷いことをするんだ!?」

その直後、この場所にあった保育園で働いていたという保育士が現れ、
その女児がそこの園児であったこと、
さらに、女児の両親もすでに震災で亡くなっていることを告げます。

この日の時点で、震災発生からすでに1か月以上が経っていました。

仏像はきっと、女の子が寂しくないように、
発見されるまでのこの長い長い時間を、
寒くて真っ黒な地中でずっと、一緒に寄り添ってくれていたのかもしれません。

神とはきっと、そういう存在なのでしょう。

◾️揺らぐ覚悟

しかし、この女児の遺体発見をきっかけに、
春日三尉の精神はついに限界に達してしまいます。

1ヶ月以上も見つからない妻と娘の姿を、
泥だらけの女児の遺体と重ねてしまったのです。

考えたくなかった。

だから想像しないようにしていた、娘の最期。

幼い我が子も、あの子と同じように、
今もまだ冷たい地中に閉じ込められているのではないか。

なんとか保っていた自衛隊三尉としての心が、
ついに、ぽっきりと折れてしまったのです。

その姿を見た佐藤が
「しっかりしろ!!」と強く叱りつけます。

「私たちは、自衛隊だ」

「何があっても、常に国民を守るという任務がある」

泣きじゃくる春日三尉を、
佐藤は上司と部下という関係を超え、
厳しく、そしてどこか優しく諭しました。

この時の佐藤のセリフですが、めちゃくちゃシンプルなんですよね。

本当に、上で書いたような言葉しか語っていません。

けれどそのシンプルさこそが、
自衛隊員たちが日々胸に刻んでいる使命なのかもしれません。

守る立場にいるのだから、守る。

なにがあっても。

家族を失った悲しみで忘れかけていた“自衛隊としての責務”を、ただまっすぐな言葉で思い出させる。

とてもシンプルですが、それだけに強く心に残るシーンでした。

◾️「平等」の捉え方と、慈善の心

女性隊員の申し送りをきっかけに、実は避難所にはすでに大量の支援物資が届いていたことが判明します。

パンはすでに賞味期限が切れており、
そのほかにも多くの物資が全国から届いていました。

しかし、ボランティアスタッフはそれらを配らず、隠していたのです。

理由は、
「被災者全員分はないから」。

一見すると、くだらない理由のようにも思えます。

しかし、こちらも映画では明言されていませんが、
自衛隊より一足早く被災地で活動していたボランティアスタッフだからこそ、
「譲り合えない人々」や「実現できない平等を求める現場」をすでに目にしていたのかもしれません。

劇中で彼らが言う
「国民のことに口を出すな」
という、どこかズレているようにも聞こえる言葉。

しかし言い換えればそれは、

「全員分がなければ、争いが起きることもある。
現場を知らないくせに、簡単なことを言うな」

という、自衛隊のように国からの強力な支援を要請できないボランティアスタッフが現場でできる、
精一杯の判断だったのかもしれません。

「被災地ナプキン問題」という話をご存知でしょうか。
東日本大震災の際、避難所で配られた生理用ナプキンが、まさかの「1人1~2個まで」だったというものです。

その都合、男性スタッフに毎回申請しなければならない避難所もあったようで、
声をかけづらかったという女性も少なくなかったと言われています。

大混乱の被災地で、ボランティアとして動いてくれる人々は、男女を問わず本当にありがたい存在です。

しかし震災当時は、統計的にも女性スタッフがかなり少なかったそうで、
その結果、男性側に女性の身体についての知識が十分に共有されておらず、

「生理はナプキン2個くらいで足りるだろう」 

「トイレットペーパーで代用できるのではないか」

といった誤った認識が広がってしまったとも言われています。
そしてこの問題は、能登半島地震でも似たような形で話題になっていました。

体質差はありますが、平均するとヤクルト1本分ほどの血液が、
自分ではコントロールできない体内から一定時間ごとに出てくるのが生理です。
そして実際の被災地では、服が血で汚れてしまった女性を見かねて、
近隣からナプキンや着替えを探してあげる女性もいたそうです。

生理用品でさえこのような状況だったのですから、老若男女すべてに必要な「食料」となれば、さらに大きな問題が起きても不思議ではありません。

地震大国である日本では、今後は非常時における女性スタッフの確保とともに、
男性を含めた基礎的な身体知識の共有も、重要な課題なのではないかと感じさせられます。

◾️命を懸ける人たち

中盤の、春日三尉の佐藤が「特攻隊」について語る場面も、とても印象的でした。

実は佐藤の曽祖父は、旧日本軍の特攻隊員だったそうです。
残された遺書には、両親へのひたすらの感謝と、そして

「生まれ変わってもまた、日本を守る存在になりたい」

と書き記されていたそうです。

だから佐藤は、曽祖父の意思を継ぐような形で自衛隊を志したのだとか。

そして春日三尉も、旧日本軍の功績を少し振り返りながら、

「そんなこと起きてほしくないけれど、
もし特攻をすればこの日本を守れるのなら、
俺は進んで特攻をする」

と笑います。
けれどその目は、真剣でした。

個人的にはこのシーン、
「なんでそんなこと言わせるんだ監督……」と思いました(泣)

こんな残酷なこと、自衛隊に言わせないでくれよ……
自衛隊ってだけでもう十分立派なんだよ……カッコ良すぎるよ……( ;  ; )

自衛隊員全員にこの覚悟を持っていてほしい、
だなんて烏滸がましいことは全く思っていません。

しかし、
『国にいざということがあれば、潔く命を散らす覚悟がある』。
そんな崇高な意思を持った自衛隊員が、日本にいる。

この事実があるだけで、私は本当に誇らしくて、たまらなく嬉しいのです。

◾️みんな、人間

そして、自衛隊員たちがこっそり愚痴をこぼし合うシーン。
薄暗いテントの中に、春日三尉と佐藤の姿はありません。

上官がいないこのタイミングで、「抱えすぎてもいけないから」と、部下の隊員たちが震災支援の中で胸に抱えてきた不安や苦しさを、少しずつ吐き出し合います。

「最近、彼氏にフラれました」

「被災者からのキツイ言葉は、心にきます」

「初めて、人の遺体を見ました」

それぞれが、誰にも言えずにいた思いを静かに打ち明けていく場面でした。

私、あそこで絶対にボランティアスタッフの愚痴出るだろ!って思ってましたが、
誰一人、そんな話題には触れませんでした……

自衛隊も、人間なんだ。

忘れかけている“当たり前のこと”を思い出させる、何気ないけれど大事なシーンでした。

◾️和樹と家族

自衛隊の存在によって、少しずつ心の平穏を取り戻しつつあった和樹のもとに、
安否不明だった両親の身元確認の連絡が届きます。

身元確認。

つまり、もう生きてはいないということです。

一気に現実に引き戻され、不安に包まれる和樹。

遺体安置所から放心状態で戻ってきた彼を、
春日三尉と佐藤が静かに寄り添います。

「ボロボロでわからなかった」

「でも、服や所持品が、両親だった」

言葉にならない思いを口にしたからでしょうか。

ふと、和樹は泣き崩れます。

たった12歳の少年が、天涯孤独となった瞬間でした。

春日三尉と佐藤もまた、苦しい表情を浮かべます。

自衛隊の支えによって、両親を失った悲しみを一時忘れかけていた和樹にとって、
このタイミングでの亡き両親との再会は、あまりにも残酷なものでした。

ボランティアスタッフと自衛隊との間にあった溝も次第に埋まり、被災地支援が良い雰囲気で続けられるようになり、派遣から2ヶ月弱が過ぎた頃。

春日三尉率いる自衛隊が、生活支援隊としての任務を終え、山形へ帰ることが決まります。

ショックを受ける和樹。

両親を失い、そして今度は、
自分を支えてくれていた自衛隊までもが去っていってしまう。

現実を受け止めきれず、走り出す和樹を、
春日三尉と佐藤が追いかけ慰めますが、和樹は泣きじゃくり、落ち込んだままでした。

◾️映画終盤

帰還当日。

被災地の人々は、自衛隊員たちに向けて「自衛隊ありがとう」と書かれた垂れ幕を掲げ、感謝の言葉を伝えました。

派遣当初はどこか遠慮というか、
余裕が無くて冷たかった被災者たち。

でもこの2ヶ月弱で自衛隊の強さと優しさに触れ、彼らの心に生きる希望が芽生えていました。

そして自衛隊員たちもまた、国民から頼られる存在としての使命感と、大きな経験値を得ることができました。

避難所を代表して手紙を読んだのは、和樹でした。

泣きべそをかいていた先日と違い、この日の和樹の表情が晴れやかだったのは、
自分も自衛隊になって、彼らのように人を守る夢が出来たからでしょう。

今度は、自分が誰かを“守り、支える”番だ。

そんな決意が、和樹の表情から伝わってきました。

そして、冒頭の卒業式後の場面へと繋がります。

映画序盤で、和樹は春日三尉に「その後どうですか?」と尋ね、春日三尉は首を横に振っていましたが、
これは妻と娘が今も安否不明であることを示していたことがわかります。

震災当時、和樹は12歳。
高等工科学校の入学条件は15歳~17歳のため、
最短で入学・卒業しても18歳。

つまり、震災から5年以上経った後も、
春日三尉の家族は見つかっていないということになります。

それでも春日三尉も、和樹も、そしてあの日被災したすべての人々も、
今日も新しい日々を歩み続けています。

自衛隊に助けられた人が、また自衛隊となって誰かを助ける。

本当に素敵な縁だと思います。

◾️宣誓

ラスト。和樹は2人に向かい、服務の宣誓を行います。

「私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、
日本国憲法及び法令を遵守し、
一致団結、厳正な規律を保持し、
常に徳操を養い、
人格を尊重し、
心身を鍛え、
技能を磨き、
政治的活動に関与せず、
強い責任感をもつて専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、
身をもつて責務の完遂に務め、
もって国民の負託にこたえることを誓います」

まっすぐな眼差しと、春の空に響く芯の通った声音で、
和樹は“宣誓”を述べます。

登場時は逃げ回り、おどおどしていた和樹の成長ぶりがわかるシーンです。

見上げた青空には、一機のヘリコプターが飛んでいきます。

何気ない今日もまた、自衛隊は世界のどこかで、
世界を、そして日本を守り続けているのです。

かつて日本を守った先人たちの残した国土と、

平和的に積み重ねてきた他国からの信頼、

そして私たち国民……

全ての人々のことを。

◾️終わりに

テレビCMや大々的な宣伝もなく、知る人ぞ知る作品となった映画『宣誓』。

エンディングクレジットには、防衛省をはじめとする全国の自衛隊の協力がずらりと並んでいました。

これほど多くの協力がありながら、大きな宣伝がほとんどないのは少しもったいない気もします。

もっと多くの人に観てほしい。

日頃から私たち国民のために活動している「自衛隊」という存在を、私たち自身が理解する機会として、こうした作品がもっと広く紹介されてもよいのではないかと感じました。

宣誓。

それは、自分の誠意を示すために誓いの言葉を述べること。

自衛隊の「服務の宣誓」に書かれている内容はとても力強く、誇りに満ちたものです。

そしてその言葉の通り、日々の任務を遂行する自衛隊の方々のその姿には、ただただ頭が下がる思いです。

いつも本当にありがとうございます。

映画を観終えたあと、ふと思い出したニュースがありました。

東日本大震災から14年と7ヶ月。

震災で亡くなった娘さんのご遺骨が、ついにご家族のもとへ戻ったという報道です。

発見された場所は、自宅から100kmも離れた砂浜。
見つけたのはボランティアの方でした。

ご家族もまた、長い年月の間、諦めずに探し続けていたそうです。

ボランティアの方々の博愛の精神、

そして家族の愛の大きさ。

奇跡のような再会の裏にあった、そうした人々の想いの強さに感動しました。

2011年の3月11日。
15年前のあの日、皆さんはどのように過ごしていましたか?

私は当時、小学5年生でした。
授業もなく、担任やクラスメイトたちと雑談をしていた午後2時46分。

ズドンッ!!

という強い揺れが起き、和やかだった教室の空気が一瞬で凍りつきました。

みんなで担任に「テレビをつけて!」と頼み、
大袈裟だと笑う担任に強く言ってテレビをつけてもらった時に映った、巨大な津波の中継。

建物や車が次々と流されていく映像を見ながら
「これは、大変なことが起きている」と、
今まで経験したことのない恐怖で身体が震えたのを覚えています。

そして翌12日朝方には、私が住んでいた長野県でも「長野県北部地震」と呼ばれる震度6強の地震が発生しました。

日本で一体、何が起きているのか。

暗闇の中で理不尽な追撃を受けたような感覚でした。

震災後、長野県にも多くの被災者の方々が避難してきました。

姉妹校では、福島から来た生徒が「被爆者」と呼ばれていじめられたという話も耳にしました。

「お前らが同じ目に遭えばよかったのに」と、その子が言ったと聞いたとき、
同じ日本人として、長野県民として、
ただただ情けなく感じたのを覚えています。

誰かを強い言葉で批判する人の多くは、その対象について十分な知識を持っていない人も少なくありません。

「噂で聞いた」「ネットにそう書いてあった」

そうした言葉の裏には、自分で調べ、学ぼうとした努力が見えないこともあります。

81年前、広島と長崎に原子爆弾が投下された際にも、「被曝がうつる」という噂が広まりました。

当時と違い、義務教育の中で基本的な知識を学ぶ機会がある現代になってもなお、
無知による偏見が完全にはなくならないのは、とても残念なことです。

こうした「無知が無知を生む現象」は、自衛隊について語る人々の間にも見られます。

だからこそ、まずは事実を知ること。

そうすれば、不確かな情報に振り回されず、冷静に判断することができます。

そしてそのためには、きっかけが大切です。

映画やドラマ、テレビ番組は、そのきっかけとしてとても大きな力を持っていると思います。

東日本大震災や自衛隊を描いた作品としては、

『THE DAYS』

『Fukushima50』

『PJ~航空救難団~』

などもありますね。
どの作品も非常によく取材されており、クオリティの高い作品でした。

また最近では、バラエティ番組でも、自衛隊を含めさまざまなテーマをわかりやすく解説する番組もあります。

きっかけは、どんなものでもいいと思います。

「自衛隊に反対したいからこそ、正しい情報を勉強したい」
それもまた、とても健全で真っ当な姿勢だと思います。

しかし、揺るがない事実なのは、
自衛隊は常に、日本と国民のために働いているということ。

だからこそ私たち国民も、せめて基礎的な知識くらいは身につけたうえで、
意見を持つべきではないでしょうか。

ちなみに私の地域では、この映画は県内2つの映画館で、わずか6日間のみの上映でした。

次の日には上映終了ということで、慌てて観に行ったのが、3月11日。
12時スタートだったので、映画が終わった頃は、ちょうど震災が起きた時間帯でした。

サイレンなどはありませんでしたが、その場で静かに目を閉じ、黙祷を捧げました。

災害で得た経験を「教訓」という言葉でまとめるのは、少し抵抗があります。
それでも、あの日の経験をこれからに活かすことは、日本にとって大切なことだと思います。

今年は、東日本大震災から15年。

そして熊本地震から10年の年です。

能登半島地震の復興も、まだまだ難航しています。

みなさん、備蓄は足りてますか?

準備もしっかりできていますか?

後悔しないためにも、今一度見直してみましょう。

日本は、世界で発生する地震の約20%が集中する、世界有数の地震大国です。