いざ、三ヶ根山へ! ― 殉国七士廟の墓前祭に参列してきました【愛知県・西尾市】アクセス方法や墓前祭の記録など

皆さんこんにちは(^-^)/

以前こちらで、愛知県三ヶ根山にある殉国七士廟についてご紹介しましたが、
先日実際に現地に行って参りましたので、
今回はその記録を綴ろうと思います。

 

殉国七士廟とは?(簡単に)

殉国七士廟(じゅんこくしちしびょう)とは、第二次世界大戦においてA級戦犯とされた、
東條英機元首相をはじめとする7名の墓所のことです。
愛知県西尾市西幡豆町の三ヶ根山山頂にあります。

詳しくはこちらの記事↓でまとめておりますので、良ければこちらもご覧ください!


訪問のきっかけ

昨年の夏、A級戦犯とされた方々の歴史を少し勉強し直そうと思ったところ、
ふと「そういえば、その7人のお墓がどこかにあるって聞いたな……」と、思い出したのがはじまりです。

十年以上前に、学生時代の歴史の先生が呟いた内容だったのですが、さすがはAI時代。
試しに検索してみたところ、Google Gemini先生が「殉国七士廟のことでは?」と教えてくれて、そこで初めて、その外観や所在地、成り立ちなどを知りました。

そして偶然、殉国七士廟が寄付を募っておられることを知り、ささやかながら応援させていただいたところ、毎年の昭和の日に行われる墓前祭で、玉串奉奠をさせていただける機会をいただきました。

↑いただいたご招待状。ちなみに斎主の三文字さんは、
殉国七士廟建立に大活躍した三文字弁護士のご令孫です。

そして迎えた2026年4月。

私は初めて、三ヶ根山の殉国七士廟を訪れました。

 

殉国七士廟へのアクセスと、スマホ圏外の注意点

先に、私が実際に利用した殉国七士廟へのアクセス方法と、
現地で気付いた注意点をご紹介しようと思います!

まず私は、
①名古屋市で前泊
②翌朝に名古屋市内でレンタカーを借り、そのまま午後の墓前祭に参列
という方法を取りました。

私は長野県在住なので、名古屋市までは『特急しなの』に揺られて約2時間。
ギリギリまで車で行くか迷ったのですが、最終的には公共交通機関を利用することにしました。

長野からの移動当日は、名古屋市をぶらりと観光し、そのまま市内のビジネスホテルに宿泊。
私は諸事情で行けませんでしたが、名古屋市にはB-29による空襲の弾痕が残る壁や、
歴史博物館などもあるので、もし余裕のある方やご興味のある方は、
前泊の際はこちらも訪れてみてはいかがでしょうか(*^^*)

翌日。
駅前のレンタカー店で車を借りて、いざ三ヶ根山へ。
高速道路を使わなくても、下道で1時間ちょっとで到着しました。

そして三ヶ根山の注意点ですが、スマホの電波が圏外になります。(下山時に気付きました)
初めて行かれる方は、ナビ設定などを済ませてから山に入った方が安心かもしれません。

私と同行者が利用していたのはahamoと楽天モバイルでした。
他のキャリアや環境の場合はわかりませんが、
この日に関しては、完全に下山後でないと電波は繋がりませんでした。

行きではGoogleマップのナビを使用していましたが、その時は車のアイコンも普通に動いていたんですけどね……
電波があるうちに目的地を設定していたからかもしれません。

また、殉国七士廟へと続く三ヶ根山スカイラインは自動車専用となっており、
かつ日中のみ有料道路となっています。
支払い方法は現金のみ。普通車で420円でした。(料金は車種によって異なります)
道中にある有人の料金所にて支払いをすると、綺麗な通行券をいただけます。
なお夜20時〜朝8時の間は、料金徴収は行われていないようです。
詳しくは「愛知県道路公社公式HP」をご確認ください!

先に貼り付けてしまったので、電車に揺られながら書いた日記からスミマセン(汗)
通行券とっても可愛くないですか!?

道中は少し細めの道もあり、急カーブも多め。
街灯がないため日中でも少し暗めでしたが、山頂に向かうにつれて生い茂っていた木々が開け、広い空と青い海という、圧巻の景色が望めました!

また、殉国七士廟は、駐車場自体はとても多いです!
山頂に続く道にも、景色が良い駐車場がいくつかありますし、着いてからも4つほど駐車場がありました。

あの高須クリニックの院長先生も来られるという墓前祭なので、駐車場がずっと心配でしたが、この日はギリ余裕でした。

が、近年は墓前祭の参拝者が多くなっているそうなので、
複数人で来られる方はできれば乗り合わせるなどしても良いと思います。

 

色々計画を練ってはみたのですが、この方法が当時の自分のベストだったかなと……

でもあとで調べたところ、西幡豆町が殉国七士廟の建立を受け入れた理由の一つに
「地域活性化(観光客増加)の願い」もあったそうなので、
次回は西幡豆町にも宿泊して、地域をゆっくり巡ってみたいな……とも思っています
(>_<)

今後もできれば毎年参拝させていただこうと思っているので、
もし「この行き方の方がおすすめだよ!」というのがありましたら、ぜひ教えていただけると嬉しいです!(=´∀`)人(´∀`=)

 

墓前祭の体験談

早めに着いたはずでしたが、
周囲にある石碑の説明を読み込んでいるうちに、いつの間にか墓前祭開始10分前に。
奥の階段を登り、殉国七士墓の前へ行くと、参列者用のテントと椅子が並んでいました。

私の椅子…来賓みたいで嬉しくて撮っちゃいました(笑)

墓前祭は『君が代』と『海ゆかば』の合唱から始まりました。

この日の三ヶ根山山頂は風が強く、
空に掲げられた日本国旗は、大きく音を立てながらたなびいていました。
厳かな空気の中で見上げたその光景は、今もよく覚えています。

玉串奉奠と、名前が呼ばれるまで
玉串奉奠とは、ご神職から玉串を受け取り、御神前や墓前に捧げる神事のことです。
墓前祭には、7名のご遺族の方々や、廟の建立に携わった方々のご子孫も参列されていました。

「そんな中で、失敗するわけにはいかない……!!」
と、墓前祭当日の朝にめっっっちゃくちゃ練習しました(笑)

せっかくなので、流れを書き残しておこうと思います。
ご参列予定の方は、よければご参考にどうぞ(^^)

玉串奉奠のやり方(クリックで表示)
①まずは式場の皆様に一礼し、神職に一礼。
②右手で榊の根本を上から持ち、
 左手で榊の葉先を下から支えて受け取る。
③そのまま、榊を胸の高さまで持ち上げる。
④玉串案(墓前)の3歩前まで行き、小さく一礼。
⑤3歩進み、御神前(墓前)の前で深く一礼。
⑥横向きだった榊を、時計回りに90°回転。
 葉先をまっすぐ立て、
 根本を持っていた右手に左手を添える。
⑦そのまま、ご祈念。
⑧榊を時計回りに180°回転。
 枝元が御神前側になるようにし、お供え。
⑨二礼、二拍手、一礼。
 (※この時、音を立てない拍手とする場合もあります)
⑩神職に一礼。

 
参列者のお話し(抜粋)

ここからは、墓前祭に参列された方々のお話しをまとめていきます。
(記憶による若干の違いや、個人的解釈が含まれます)

・高須克弥院長先生
高須院長は、数年前からご病気をされていると伺っておりましたが、この日はとてもお元気そうで安心しました。
階段を力強く登られるお姿を拝見し、「私もまだまだ頑張らないとな」と思わされました。

「人は、名前を忘れられた時、本当に死ぬ」

「でもこの7人は、この場所がある限り、きっとずっと忘れられない。
だからこそ、この場所を大切にしていきましょう」

今や世界にその名が知られる高須院長だからこそ、より重みを持って響く言葉だったように感じます。

 

・ヒゲの隊長 佐藤正久氏
元自衛官であり、昨年まで参議院議員を務められていた佐藤正久氏も参列されていました。

「誰だって、戦争なんかしたくない。
子どもを戦争になど、行かせたくなどない。

それは、自分が戦場に行くより辛い」

「この気持ちは、自衛官だって同じです」

普段から命をかけて日本の防衛を担っている自衛隊の方々への感謝とともに、
親子二代で自衛官として歩まれた佐藤さんだからこそ、その言葉は力強く、深く共感するものでした。

 

・市川住職のお孫さん
市川住職とは、三文字弁護士や火葬場の飛田場長と協力し、
A級戦犯とされた7名の遺骨の奪還に尽力された、興禅寺のご住職です。
この日は、そのお孫さんであり、現在興禅寺のご住職を務められている方がお話をされました。

ご住職は、お祖父様である市川さんが亡くなられた後にお生まれになったため、直接お話を聞くことはできなかったそうです。
それでも、その時の経験談や想いは、お父様から繰り返し聞かされてきたと話されていました。

「あの日、祖父が失敗していたら、

今の自分はここにはいない」

その言葉を聞いた時、私は「自分も同じではないか」と思いました。

過去の何かが一つでも違っていたら、
自分という存在は生まれていない。

これは仏教でもよく説かれる考え方です。

先の大戦では、世界中の人々がそれぞれの国を背負って戦い、多くの命が失われました。
戦場を生き延びたとしても、その後の病気や飢え、心の傷に苦しみながら生きた人も少なくありません。
そうした数え切れない人々の歩みの先に、今の私たちがいるのだと思います。

今ある日常を当たり前と思わないこと。

日本のために尽くした多くの人々に感謝すること。

そして何より、同じ悲劇を繰り返さないこと。

それが、今を生きる私にできることなのだと、
ご住職のお話を聞きながら改めて感じました。

 

その後も、殉国七士廟建立に尽力された三文字弁護士のお孫さんをはじめ、
多くの国会・地方議員さんより、ご挨拶とお話しを聞かせていただけました。

帰りには、蒲郡市の議員さん(だったと思うのですが、記憶が曖昧です……!)からお声をかけていただけました(*^▽^*)
今回は時間の都合で立ち寄れませんでしたが、次回はぜひ、蒲郡市にも足を運んでみたいと思います!

 

参列の感想

本当に緊張しました……!
でも終わってみれば、皆さんとても温かく迎えてくださり、
あっという間と言いますか、非常に充実した墓前祭でした。

ちなみに、墓前祭に参列される際は、
特に玉串奉奠などお名前を呼ばれる場合の時は、必ずテントで受付をされてくださいね!
私は人混みをスルーした結果、受付を忘れるという失態を犯しました(;´∀`)
それでも、私の名前を呼んでくださった奉賛会の方々に感謝です(汗)

ちなみにこの三ヶ根山には、
殉国七士廟のほかにも、山中に数多くの戦争遺構が残されています。

例えば、フィリピンでの戦いにおいて戦没された50万人以上の日本兵を慰霊する比島観音や、
“戦車隊の神様”と呼ばれている戦車第十一聨隊の士魂碑をはじめとする、多くの聨隊の慰霊碑、そして空母『飛龍』の実物エンジンなど。
また、三ヶ根観音は、御朱印が可愛いとうわさです。

帰りの列車時間の関係もあって、
ゆっくり回って手を合わせることが出来なかったのが、唯一の心残りです。

今度はもっと時間に余裕を持って訪れて、
三ヶ根山で見た景色や戦争遺構などを、また皆さんにご紹介できたらと思います!

 

そして今回、私が特に印象的だったのは、「萬世太平」の像です。

日本だけでなく、世界の恒久平和を願う巨大な像と、
それに比べれば小さな7人の墓標。

この対比こそが、彼らの託したかった願いだったのではないかと、
勝手ながら解釈してしまうのです。

こちらに何かを押し付けるでもない。

ただ静かに、でも確かに、そこで見守り続けている。

そこにあるのは主張ではなく、
「ここに生きた人がいた」という事実そのものと、
自分たちの墓標以上に願った、万世平和への祈りだったと思うのです。

 

下山中の景色も本当に綺麗で、青い海に浮かぶ島々は、
海無し県で生まれ育った私には、目が覚めるほどの絶景でした。

三ヶ根山スカイラインは、バイカーの方々にも人気な一方で、
実は自動車侵入禁止の登山専用のコースもあり、参列者の中には「自分の足で登ってきた」という方もいらっしゃいました。

万葉集にも出てくるほど、美しいとされる三ヶ根山の景色。

どうぞ皆さんも、三ヶ根山の美しい景色を楽しみながら、
この地で眠る人々や、その時代を行きた人々に思いを馳せてみてはいかがでしょうか
( ´ ▽ ` )

以上、ご閲覧いただきありがとうございました。

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